自分の検査数値に目をつぶりたい(PHRの続き)

仕事(おもに医療)

という人やっぱりいるんだ、という話です。
痛風の方ですが、採血をかなり頑固に拒んでいました。
「血をとるの痛いんでしょ?」「どうせ数値悪いから」
ということで長く抵抗されてましたが、無事採取。
結果はそれほどでもなく、、、という結末。
最後の一押しがなければ採血しなかったかもしれません。

前も書いたけど、自分の身体の事だから自分で管理するのが当たり前、と思うけど、なかなかそうはいかない現実もあると思います。
海外では癌が見つかれば本人に伝えないのは人権侵害となりますが、日本では家族の意向で(特に高齢者を中心に)本人に伝えないこともあります。

私も原則は本人に伝えるべきだと思います。
(診断前に本人が知りたくないという意向を表明されていれば別です)
どういう治療があって、治癒の確率はどれくらいで、という話も病名を告知しないと始まりません。
でも、だからといって家族の意向を無視してもいい土壌が今の日本にあるとは思いません。
説得、なんだろうなと思います。

別の話になりますが、今日NHKで雇用に関する番組をしていました。
解雇を通告された人が、解雇の無効を会社に訴えている例がほとんどでした。
もちろん正当な手続きに則っていない解雇は許されません。
ただ、番組の雰囲気としては解雇自体が駄目という感じになっていて、多分外資系企業だと思うのですが、パフォーマンスが下位15%の人を解雇の候補に挙げている例を出して、「安心して働ける環境を」と解説者が話しているのに違和感を感じました。

ずっと雇ってくれる安心感で伸び伸び仕事をしてくれるという例もあれば、ぬるま湯につかってまともに仕事をしない例もあるはずです。
私は人間は基本はサボりたいという欲望に打ち勝てないと思っているので、賃金の割に働かない人は解雇されるのは当然だと考えています。
GEも下位10%の人は毎年入れ替えているそうです。
リスクや不安を感じて、それでも慌てずに生活の中に組み入れていく、という作業を日本人は苦手にしているのではと思います。
大学の同級生で日系大企業のサラリーマンの友人は、「自分が首になるなんて考えたこともない」と話していました。

海外は解雇のリスクがあっても雇用流動性が高いので次の就職先が日本よりは見つけやすいかとは思います。
ただ、日本はあまりにも個人の生活を何か大きなものが守りすぎていて、自分の人生は自分で責任を持つという感覚を持ちにくいのではないかと。

そういった意味でPHRを進めるためには、不安とどうやって付き合っていくかという部分の教育を同時にする必要があると思います。


« »