緑がきれいだ&幸福度調査はいらない

オフ 仕事(おもに医療)

家の近くの桜並木は、ちょっと前まで花が咲いていたのにGWが終わって東京に帰ってくると緑がだいぶ濃くなっていた。
散歩してる時に1枚撮ってみた。
ゆっくりできる時間があるといいねぇ。

 

と、話は変わって今話題の勝間さんとひろゆきさんの討論ですが、基本的にはひろゆきさんが言ってることに共感することが多い自分がいるのですが、その自分に反省しなきゃな~と思ったりする一面もあります。

それは、「起業したい人がすればいい」「何に幸福を感じるかは人それぞれ」というのは個人レベルでは全くその通りに思うのですが、例えば起業が進む社会は経済成長を促す、というデータがあると仮定すると、全体としての社会のポテンシャルを生かせていないということになります。
結果財政がさらに困窮して社会福祉に必要なサービスが滞ったり、ということになれば良くないね、とは思います。
たぶん、ひろゆきさん的考えでは、そうなる可能性はあるけどそういった価値観の社会を選んだのは今生きている人全員で、結果そうなればしょうがないんじゃないの、そこまでいくちょっと前にお金ちょっとは必要だよねと言うことでもう少しだけ頑張るんじゃないの、みたいな感じかと。それも含めた選択ですよね、と。

対する勝間さんは、非常に全体最適の事を考えておられて、もっと準備しましょう、環境整備しましょう、個人でもリスクヘッジが必要だしそれをすることにより全体も成長する可能性が高くなるから、全員のリスクも小さくなりますよ、だから頑張りましょう、といった感じでしょうか。
確かに討論であの態度はないよなと思いましたが、全体最適を考えて話してるんだろうなとは感じました。

ひろゆきさんは社会の成員を自立した存在と見ていて勝間さんは成員を手助けしないといけない存在と見ている。
ただ見方を変えると、ひろゆきさんは何が起こってもそれは自己責任ですよ、ちゃんと自分で対処するんでしょ?と思っているように見えるし、勝間さんはそれぞれに対する処方箋が必要で誰かが提示する必要があるのでは?と思っているように見える。

やっぱり昔から社会の概念に対する論争の内容って変わっていないんだなぁと思います。

話はまたちょっと変わって、2人の論争中に出てきた幸福度調査について。
もうこんなの止めれば?と思います。
数字になってるから客観的なデータに見えるけど、こんなもんめちゃめちゃ主観的なものじゃないですか?
同じ状況にいても人間性や文化で違う点数になるものにしばられてどうするの?
ひろゆきさんの言ってるように、私は日本という国は暮らしていくのにこんなに良い国はないと思います。
幸福度調査なんて意味ないことするんだったら、安全性なり上下水道普及率なりを比べればいいのにな。


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